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2010/09/07 Tuesday 16:34:51 JST
 
 
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李家の秀才三兄弟
(当サイト運営者Vladimirがハッカージャパン誌2004年3月号向けに書いた記事の一部です)

「亜細亜大学アジア研究所所報第108 号」(平成14年11月20日)に、注目すべき文章が掲載されている。前・(財)化学技術戦略推進機構筑波管理事務所所長の安部桂司氏による「韓国・北朝鮮間の技術交流」という論文である。南北科学技術交流を活性化させるために、在日朝鮮人の科学者組織……科協がどのような役割を果たしているか、そして北に移転された技術がどのように軍事転用されているのかを簡明に論じた、極めて興味深い論考である。


  この論文の中で、筆者はある人物の名前に目が留まった。その部分を引用する。

 北朝鮮が新産業の育成でIT分野を重視し、韓国との技術交流を進める一方、それを受けて韓国のIT産業関連企業も積極的に協力するようになった。それは北朝鮮のソフトウェア技術の優秀さが認識されだしたからである。その過程で、在日朝鮮人出身のリスラク教授の存在がソフトウェアの開発と技術者教育の業績で韓国に知られた。リスラク教授は南北技術交流を進める北朝鮮側の中心人物の一人でもある。
(「韓国・北朝鮮間の技術交流」安部桂司著・亜細亜大学アジア研究所所報第108号より)


  この「リスラク教授」とは、いったい何者か。

  原文ではカタカナ表記されたこの人物の漢字名は「李秀洛」。前・朝鮮コンピューターセンター(KCC)技術所長であり、現在は北朝鮮教育省プログラム教育センターである「12月1日研究所コンピューターセンター」の所長の座に就いている。

  聞き慣れない名前である。だがこの人物、日本でも一度報じられたことがある。朝鮮中央放送の報道をもとにラヂオプレス(RP通信社)が報じた短いニュースを以下に引用する。

◎コンピューター教育関連の教材を発行―北朝鮮教育省関係者など
【朝鮮中央放送2001年6月6日=RP】
教育省活動家、コンピューター教育、科学研究機関の教員、研究士、労働者らがコンピューター教育に大きく寄与する数十種の教材を2カ月間で立派に執筆、編集、発行する成果を収めた。コンピューター秀才養成基地で教授事業を円満に行えるようにするためには、数十種の教材を2カ月間につくらなければならないという手に余る困難なこの課題を遂行するために、教材執筆所に網羅されたメンバーらは昼間に次いで夜にも執筆し、休息日や祝日もこの事業にささげた。とくに教育省プログラム教育センターのリ・スラク(李秀洛)所長は、60の高齢に達しているが、青春の熱情で教材執筆に模範を示した。教育図書出版社と平壌高等教育図書印刷工場の活動家、従業員らは、教材を効果的に編集・発行した。


 日本で李秀洛氏について報道されたのは、おそらくこれだけではなかろうか。

 李秀洛氏の北朝鮮での異名は「情報産業時代の実力者」だ。その理由は氏がこれまで、科学院自動化研究所、朝鮮コンピューターセンターなど情報産業の「前哨基地」を経て、コンピュータープログラムの開発、コンピューター教育システムの確立などに多くの努力を傾注してきたためだ。

  先の記事の3日後、北朝鮮は再び労働新聞にて李秀洛氏を簡潔に紹介している。それによると「李所長は還暦を超える年齢にもかかわらず、若者に劣らない情熱で情報技術の発展に尽力している」とのこと。

  李秀洛氏が初めてコンピューターに触れたのは、氏が金策工業総合大学の教員であった1960年代であったという。彼はこのとき北朝鮮初のコンピューター製作事業に参加した。

  筆者も「サイバー北朝鮮」にてこう記した。

  プエブロ号事件ののち、北朝鮮にとってコンピューター開発は焦眉の急となる。
 最初の成果は1969年4月に現れた。金策工業大学と金日成大学ではじめられたコンピューター開発研究が、第一世代のデジタル・コンピューター製作の成功をもたらしたのだ。4,096個の数字を保存することができる、この北朝鮮初のコンピューターは「前進-5500」と名づけられた。
(拙著「サイバー北朝鮮」より。P118)


  だが労働新聞の記事によれば、李秀洛氏はこのときはまだコンピューターに興味を抱かなかったという。

「彼はコンピューター製作に参与したのだが、当時はまだコンピューターが『計算する機械』に過ぎないために、大きな関心を持たなかった」(労働新聞2001年6月9日。筆者訳)

  李秀洛氏がまだ二十代半ばの頃である。

  やがて彼は四十代を迎え、科学院自動化研究所に勤務することになる。氏がコンピューターを再認識し、一生の仕事としようと考えたのは、この科学院での出会いであった。

「『計算する機械から情報処理機械に発展した個人用コンピューター』に接し、情報技術分野、特にプログラム開発に積極的に参与することを決心した」(同掲)

 驚くべきはこの後だ。四十の手習いであるにも関わらず、李氏はプログラム開発をはじめて一年後には「ハングル文書編集プログラム」を開発し、さらに「朝鮮語体系プログラム」、「テレビ字幕編集プログラム」、「映画文献資料検索プログラム」など立て続けに完成したというのである。

 こうした功績を評価され、李秀洛氏は当時、スイス留学から帰ったばかりの金正日の長男、金正男が推進していた北朝鮮情報産業基地の設立、すなわち「朝鮮コンピューターセンター」(KCC)に、創立メンバーとして参与することになった。そしてKCCが開館すると、事実上の総責任者として勤務することになったのである。

(KCCの表向きの総責任者は朝鮮総聯の故・韓徳銖議長の次男・韓宇哲氏である。だがこれは「名誉職」の意味合いが強く、実際の責任者は李秀洛氏であった)。

  KCCでの李秀洛氏の活躍で最も顕著だったのは「国語問題の解決」である。

  韓国と北朝鮮。使用する言語はどちら側も、政治的に中立かつ妙竹林な言い方をすれば「ハングル語」ということになる。韓国が自国語を「国語」と呼び、北が「文化語」と呼び、互いに地域の訛りを保持しているとはいえ、同一の言語である。

  使われる文字も同様。あのカタカナがひっくり返ったような宇宙文字?は、基本的には訓民正音に土台を置く「ハングル」として、南北共通のはずだ。

 だがコンピューター上では、「北の文字(朝鮮語)」と「南の文字(ハングル)」は別物となる。というのも、文字の順番が両国では異なるからである。韓国では子音の順序がいわゆる「かなだら(K,N,D,L)」順であるのと比べ、北のそれは「S,J,○(イウン),H」となるからだ。

  つまり同じ言語であろうとも、文字の順番が違えば各文字のコンピューターコードも異なってくる。そのため南北ではソフトウェアに互換性が生まれないのである。

  インターネット時代には、さらに「ハングルドメイン」の問題も表面化した。

  キーボードの配列やコンピューター用語の差も無視できない。些末な違いのようだが、こうした差異の積み重ねが、南北の情報交流に大きな障害物となってきた。

  簡単に言えば、朝鮮語での情報処理技術分野で障碍となるこのような「国語問題」に対し、科学技術的な問題解決と南北標準化のために大きな役割を果たしているのが、李秀洛氏なのである。

「彼はセンターで、北朝鮮の実情に合うプログラムを直接開発するいっぽう、プログラム開発研究チームを指導。特に『ハングル文字文書自動認識技術』、『国語認識と合成技術』を発展させるののに寄与した」(同掲)

  1990年代中盤、金正日がコンピューター産業の人材養成の必要性を強調した。すると李秀洛氏は自らコンピューター教育部門に志願し、教育省に移籍した。そして教育省プログラム教育センターである「12月1日研究所コンピューターセンター」の所長として、コンピューター教材の製作と教員の再教育事業を行いつつ現在に至っている。

  2001年4月1日に開校した「コンピューター秀才養成基地」。ここでの教材も、李秀洛氏の指導により製作されたものである。

  李所長の業績に対し北朝鮮政府は「労力英雄」、「功勲科学者」の称号を授け、また金正日は氏に「贈り物」を与えたという。


送金疑惑と、運命の岐路

 日本ではほとんど知る人のいない、北朝鮮ITの重鎮、李秀洛氏。だが氏とは異なり彼の兄は、実は昨年、盛んに新聞で取り沙汰された人物である。

「李家の三兄弟」は、その地域の人々には有名だったらしい。三人揃って秀才だったからだ。次男は朝鮮総聯でめきめきと頭角を現し、金融分野で大きく出世した。そしてこの出世によって得た地位濫用のおかげで、のちに懲役3年、執行猶予4年の実刑判決を神戸地裁から言い渡されることとなる。

 在日本朝鮮信用組合協会(朝信協、2002年3月に解散)の不正融資事件である。背任罪に問われたのは朝信協の元会長・李範洛氏。李範洛元会長は1997 年9月、旧朝銀大阪理事長らと共謀し、旧朝銀兵庫、京都、愛知から、返済の見込みもないのに計約10億4000万円を引き出しては、旧朝銀大阪が抱える不良債権の穴埋めに流用したのである(2003年3月に有罪判決)。

 李家にはもう一人の秀才がいた。この人物についてはあまり詳しい情報が得られなかった。判明したのは、この人物は日本におり、祖国のために科学分野で活躍する……つまり、科協に属しているという事実だけである。

在日本朝鮮人科学技術協会第14期大会
  • 会長・朴云承
  • 常任顧問・李時求 
  • 常任顧問・池戴基
  • 副会長・徐錫洪
  • 副会長・玄丞培
  • 副会長・朱炫暾
  • 副会長・申在均
  • 副会長・張炳泰
  • 副会長・洪邦夫
  • 顧問・呉聖師
  • 顧問・朴基徳
  • 顧問・李昌洛
  • 顧問・李奉国
(備考 / 2004.12.14追記)
-  徐錫洪氏は「北のフォン・ブラウン」の異名を持つ内燃機関(2サイクルエンジン)の権威。なお軍事転用を主眼とする北では、「自動車エンジン」とは「ロケットエンジン」と同義。なお、日本の短距離ミサイルは日産が世界一なのだが、その日産が徐錫洪氏をほしがったほど、独自の優れた技術を持つ正真正銘の天才である。米動力機械学会でも受賞歴あり。昭和7年生まれの東大工学部卒。日本自動車研究所、日本クリンエンジン研究所をへて現在、北朝鮮金剛原動機合弁会社社長。進栄商事株式会社監査役。(有)東西総研社長。
- 朱炫暾氏はムギテック監査役。京大工学博士。
- 張炳泰氏は朝鮮大学校学長にして、日本国籍を持つ北朝鮮最高人民会議代議員の一人。


(備考 / 2005.12.29追記)
実際、科協14期の人事異動は激しかった。李時求氏はこの14期の改選からわずか数ヶ月後に会長を辞任している。したがって会長が3人交代(李時求→朴云承→申在均の各氏)したことになる。
さらに同時期、徐錫洪氏も副会長を辞任。物理学と内燃機関の権威2名の突如辞任劇の背景で囁かれているのは、この14期が1995年から始まっていることと関係がある。同年に何があったのか。賢明な読者諸氏はおわかりであろう。オウム真理教事件とその余波である。
 李時求前会長は伏見康治博士の愛弟子。オウムの村井秀夫は李時求の後輩。伏見→李時求→村井を結ぶものはずばり「ウラン濃縮」だ。

(備考 / 2006.1.28追記)
産経新聞1999年04月27日朝刊……「金正日将軍の対日工作(7)なぞの組織『科協』」と題した記事に、こんな記述がある。
 昨年八月末、北朝鮮が新型弾道ミサイル「テポドン1号」を日本列島越しに発射した後、ある総連関係筋は日本からここ一年以内に北朝鮮に入った在日朝鮮人のリストをみたことがあるという。「科協のメンバーとみられる、東大でエンジン工学を研究した男の名前がリストに載っていた。彼は北朝鮮の軍事産業とつながっているようだ」(同筋)

(備考 / 2006.12.8追記)
本原稿「李家の秀才三兄弟」にて、重大な誤りがありましたので訂正いたします。当該記事の誤りを見つけられたのは、李昌洛先生ご自身。某筋を通じ「長幼の序が間違っている」とのご指摘を受けました。長男でいらっしゃる李昌洛先生、誠に申し訳ありませんでした。謹んでお詫び申し上げます。

  いささか古い資料で申し訳ないが、筆者の手元に「在日本朝鮮人科学技術協会第14期大会」における人事を記したメモがある。

 なお筆者が今回取材した、科協に近い人物によれば、この人事は暫定的なものだとのこと。14期会長の朴云承氏は、朝鮮総聯中央教育局長を経て、現在は経済委員会事務局長という、押しも押されぬ大物である。朴云承氏は14次の会長を途中までつとめ辞任。

  14期の途中から15期までは、上記リストで副会長に名を連ねる一人、申在均氏が会長を務めている。そして2003年現在は科協常任顧問の座にある。この事実は朝鮮新報の記事「〈関東大震災-朝鮮人虐殺から80年〉留学生かくまった2人の日本人」の署名でも確認することができる。

  16期の会長は黄喆洪氏。なお科協における「1期」は三年。2004年5月から17期となる。

  そして……14期大会の顧問の一人が、李家のもう一人の秀才、長男の李昌洛氏である。東京大学工学部に在籍し、金属を専門とする李昌洛氏の論文をいくつか、ネットで探すことができる。

 その才能を祖国から、運命から祝福された弟二人。それにひきかえ……いや、そういう言い方は止そう。次男が進んだ道の行く末にあったものは、他の兄弟たちが選んだ科学という世界の透徹した論理とはまったく別の、グロテスクきわまりない政治力学が強く作用する場であったはずだ。

  北朝鮮はその外交政策がゆえに、明白にわが国の敵であると思う。だが敵とはいえ、祖国を愛し祖国に捧げるため、自らの才能の開花に努力を惜しまなかった人々を、筆者は心から尊敬する。

(おわり)

 
 
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