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北朝鮮問題家を斬る:206 プリント メール
2010/02/07 Sunday 21:02:05 JST
 トンネルを越えると雪国である。越後湯沢に足を運んだ。金達寿が愛用した宿に泊まる為であった。それに越後湯沢の駅が楽しいのである。駅舎の中の土産物店は試食品が豊富で楽しいのだが、何よりも「ほんしゅ館」の中の酒風呂が良い。温泉に酒を入れた湯船に入れば極楽である。

 南牛は1962~1981年の間、金達寿の周辺に居た。それは金達寿の40から50歳代に当たった。金達寿の50歳の祝いは、息子と南牛を入れて三人で夕食を新宿で食べた記憶がある。そして60歳の祝いは盛大に行われ、記念本も刊行された。それは一重に『日本の中の朝鮮文化』が売れていたからである。

 金達寿は1981年3月下旬、李進煕、姜在彦をお供に訪韓する。韓国は軍事政権下にあった。南牛は1979年12月、東京工業試験所の筑波移転に伴い茨城県へ転居していた。81年の3月に入って金達寿に呼び出され、つつじヶ丘の金達寿邸へ参上すると韓国行きを告げられた。訪韓後の4月、金達寿は南牛に軍事政権下の韓国の現状をベタ褒めした。その後に、二度と金達寿の顔を見ることは無かった。つまり、60歳以降の金達寿を知らないのである。この事例を述べるのは、南牛が1981年当時社会主義の思想に被れていたことの証明でもある。

 この間金達寿は『三千里』、『青丘』誌を通して日本社会へ一定の影響力を与えようとしていたが、その時代の金達寿を南牛は全く知らなかった。南牛の知っている金達寿は『三千里』誌を通して、NHKに朝鮮語講座の開設を求める市民運動を起こしていた時代迄である。だから、若いジャーナリストから金達寿に付いて取材したい、と申し込まれても当惑するのみであった。60代から70代の韓国と往来した金達寿を、南牛は全く知らない。つまり、若いジャーナリストの取材申し込みに、金達寿の晩年を全く知らないことから期待に添えなかったのである。

金達寿が日本の中の朝鮮文化に取り組んだのは、1960年代の後半、北朝鮮で金日成の唯一指導体制が確立した前後からであった。当時の金達寿は朝鮮総聯の中で韓徳銖を挟んで金炳植と対立・抗争していた。金達寿は、金炳植のやり方では日本人に訴える力を持ち得ない、というものであった。しかし、アンチテーゼとしての「日本の中の朝鮮文化」は、在日朝鮮人が日本へ定住する道を探る、ものと成っていた。そこから、北朝鮮への帰国を説く韓徳銖の路線と、距離を大きくしていった。

金達寿がNHKへ朝鮮語講座の解説を求める市民運動を起こした動機に「民族学校」の朝鮮語教育を問題にした。金達寿は慶尚南道馬山の出であったが、青年期に京城で過ごしており、本国の言葉を知っていた。だから、朝鮮総聯、取り分け金炳植が「平壌文化語」を民族学校の国語教育の根底に据えようとしたとき、猛烈に反発した。在日朝鮮人社会に正しい朝鮮語、京城のことばを、教える必要性を感じていたからであろう。

南牛に残されている時間は少ない。金達寿の還暦から晩年に付いては全く知らないが、鄭貴文、鄭詔文兄弟と日本のなかの朝鮮文化を追い求めていた50歳代に付いて、比較的詳しい方ではある。その事を知人へ手紙を出し、発表舞台を探して貰えないかと依頼している。

南牛が書きたいのは、金達寿と歩いた「神社」に付いて、皇国史観と在日朝鮮人の営みから、コミンテルンの対日工作も絡めて説きたいのである。

昭和大帝の最晩年を取材し、『昭和天皇』(岩波新書)を記した原武史に、『松本清張の「遺言」』(文春新書)がある。内容は『週刊文春』誌に連載中に松本清張が脳出血で倒れ、未完に終わった『神々の乱心』を読み解いた、と言うモノである。

連載中から『神々の乱心』に関心を持っていた。それは「白頭山神話」に言及していく作品だと感じていたからだ。だが、原武史は、昭和大帝、貞明皇太后、秩父宮の三者の関係をモデルとした小説だと読み解いている。

南牛は松本清張の『昭和史発掘』には批判的である。特に、2/26に関わる描写と言うか、読み解きに納得し難いモノを持っている。旧華族の一人から伺っている話と松本清張の主張は大きく異なるからである。

松本清張と深い親交のあった金達寿は、白山信仰に深く関心を抱いていた。朝鮮半島に於ける白頭山神話に通じる、と受け止めていた。金達寿が飛騨を旅行した際、南牛はお供をしているが、朝鮮民族に於ける白頭山神話と白山信仰の関係を熱く語っていた。
陸軍の一部に白頭山神話を研究する流れがあり、研究者の一人から中原に覇を遂げる為だ、と聞かされた。

松本清張は小倉出身である。その長男は中二の時に東京へ移っている。小学校から中二迄、松本清張の長男と共に学んだ者が、南牛と高校時代に席を隣にした。だから、松本清張が小倉を舞台にした小説を書くとフィクションとして読めなかったものである。それは松本清張の作品を当初から「史実」との関係で読む習慣を持たされていた、と言う事でもある。

 南牛は白頭山神話と白山信仰の関係を、金達寿と松本清張それからコミンテルンの対日工作を絡めて分析したいのである。

2010年2月7日 南牛 安部桂司

 
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