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萩原遼さんが、北朝鮮研究会で知られる「NK会」に、新年参加されたそうである。親朝派の南牛は、何処となく参加し辛い研究会である。本当に親朝派に分類されると、今の日本では活き辛い。南牛に電話を掛けてくる方が事実上いなくなったのである。今の日本で親朝派に分類されているらしい南牛は、猛烈な孤独のなかにいる。
萩原遼さんとは「日朝協会」に関わったことで共通の体験、親朝派としての接点がある。だが、近年北朝鮮に厳しい「姿勢」を採っている萩原遼さんとは溝が生じた。その萩原遼さんが編集されている『光射す!』誌は、萩原遼さんが親朝派と決別した姿勢に充ち満ちた雑誌となっている。 南牛が座右に置いて眺める雑誌は高二三の『済州島』(1~10号)、金秀大が関係していた『丹青』(1~8号)、それから萩原遼さんが編集している『光射せ!』(1~4号)である。 先ず、高二三の『済州島』だが、南牛は自称・済州島に関わる「専門家」であり、史実に基づいた金石範論を書く予定がある。 次に、『丹青』誌は金秀大と朴鳳瑄先生の論文を読むに欠かせない雑誌である。朴鳳瑄先生には、大部な著作が幾つもある。だが、先軍政治を掴むには、朴鳳瑄先生が『丹青』誌に書かれた論文からだと入り易い。 そして『光射せ!』誌だが、最新号の4号は昨年の12月10日に刊行されている。目次にある「金日成が発動した壮大なる誘拐」に対して南牛には異論がある。題名からして、金日成を過大に評価している感じがする。李承晩の韓国が棄民政策を採っており、国是として海外へ点在する同胞の吸民策を採り、存在価値を示したのであろう。それは日本に取って歓迎される「政策」であったことを忘れては成らない。 だが、脇田憲一氏の「朝鮮戦争に“参戦”した日本共産党」には、題名からして同感なのである。その脇田憲一氏には、大部な著作『朝鮮戦争と吹田・枚方事件』がある。今は第三書庫に置いてあるが、自惚れだがこの大部な「脇田本」を分析出来るのは、玉城素先生が亡くなられたので、現状では南牛しかいない、と自負している。玉城素先生は日共の軍事闘争の研究者であったが、それを表現することなく亡くなられた。 晩年の玉城素先生とは共通の課題を見出し、密かに語り合ったものである。例えば『光射せ!』の2号に萩原遼さんは、「私が宮本顕治を見限ったとき」を書いている。これは玉城素先生がご存命中であれば、吉祥寺へ参上し、討議したであろう内容に満ちている。少なくとも、玉城素先生と南牛は宮本顕治が萩原遼さんを嫌った理由が分かるような気がするからだ。この部分は宮本顕治にかなり近かった、旧党員でなければ分からない雰囲気に充ち満ちた作品と成っている。実に面白いのである。南牛が周辺の人に『光射せ!』の講読を勧める切っ掛けは、この文書を読んでからであった。 そして『光射せ!』4号には、「小島晴則さんと私」という短い文章を寄せている。あの「救う会」が切り捨てた小島晴則さんを、暖かく抱擁している姿勢が伺われ、萩原遼さんの度量を感じさせる頁と成っている。南牛は小島晴則さんを排除していった方々の心の闇に慄然としていた。萩原遼さんの、『光射せ!』での小島晴則さんへの対応に救われる思いがした。 南牛があらゆる「運動」から手を引いたのは、老齢が主要な原因だが、運動体特有のセクト、排除の論理に耐え難くなったからである。 2010年1月30日 南牛 安部桂司
Vladimir註:冒頭部分で安部先生は「NK会」について、何というか、語弊を招く形容(笑)を付されていましたので、削除させていただきました。わたくしVladimirもまたNK会会員ではありますが、まあその、あれですわ、いささか褒め殺しのような形容でしたので……。 |